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06/21
梅雨ですね。
雨が続き、じめじめと湿って……たぶん季節の中では1番の嫌われ者かもしれません。
でも梅雨が明ければ夏。特別な予定は何一つありませんけど、それでも、やっぱり夏の到来は楽しみです。高校野球、入道雲、セミ、冷たいビール、冷やし中華はじめました。
梅雨はうっとうしい嫌な季節であり、同時に夏を楽しみに思わせてくれる季節。例えるなら、ビールを美味しく飲むために喉の乾きをガマンするみたいな……それとも、空腹は最高の調味料的な感じでしょうか。
閑話休題。
市販のPCゲームはインストールして遊ぶのが一般的ですが、フリーや同人作品の多くはインストール不要なものがほとんどです。これに慣れてしまうと、市販ゲームのインストールが(たとえ短時間でも)面倒に思ったりすることもありますよね。
最近では、インストールどころかダウンロードも不要なノベルゲームも作れるようになりました。以前「ノベルゲームをつくろう」で紹介したフラッシュで作るノベルゲームもそうですし、最近ではWEB上で制作できてブラウザで遊べるノベルゲームという試みもあるようです。
有名なところでは「まぜまぜのべる」「のべすと」のような、既存の素材を無料あるいは有料で入手して、組み合わせて制作し、そのまま作品をWEB上で公開できるサービス。
「ゲームを作る」こと自体を遊び(&ビジネス)にしてしまうという発想では、RPGツクールなんかがその先駆け的な存在ですが、ツクールはそれなりに変数やイベント管理、スクリプトやらの知識が必要でした。
ところが、この「まぜまぜのべる」「のべすと」では、良質な素材がそろっていて、素材を制作したり探す手間がかなり省ける上に、プログラム知識もほとんど不要のようです。すべてがブラウザで制作できて、しかも公開配布の準備も不要。
そのへんの至れり尽くせりさは、さすがビジネス。でも、その気軽さ手軽さゆえに、創作意欲が湧いて来ないのは……僕だけでしょうか。
なんか創作に関しては、そこそこのハードルの高さみたいなものがあった方が、結果として作品にも良い影響を及ぼしそうな気がします。
手間を省くのと楽をするのの境界線は微妙ですけどね。そこそこ手ごわい方が、挑みがいもあり、意欲も湧くものです。まぁ、このへんは作り手の考え方にもよるんでしょうけど。
その他にも「箱庭のべる」「のべつく」「のべらる」「アドベンチャゲームツクレール」などなど、お遊びからビジネスモデルまで、さまざまな試行錯誤がノベルゲームに対して行われています。今がちょうどノベルゲームというものの、過渡期なのかもしれませんね。
タイで制作されているギャルゲー(情報提供mas様)とかも話題になっていて、ノベルゲームの海外進出も進んでいるようですし、同人ノベルが翻訳されて海外でも公開、なんてケースもあります。
ノベルゲームというジャンルが、日本の局地的なもので終わるか、単なるゲームの1ジャンルくらいには成長するか、あるいは何かもっと面白い進化を遂げていくのか……楽しみですね。
おまけに、ちょっと古いですがニュースを一つ。
【iPhone/iPod touch向け同人ノベルゲーム】
http://iphonewalker.net/2009/02/4701.html
なんでもそうですけど、
とにかく「やった」ということの強みというのは、あると思います。僕もゲーム制作をしてみて「はじめてわかったこと」というのは、やはりありましたしね。
それにしても、「誰よりも早く」とか「まだ誰もやってないこと」というのは注目を浴びますね。
ぜひとも、このへんを狙ってみたいものです。
05/24
ノベルゲームを作ろうを「3:設定をしよう。」を更新しました。
さて。
”とりあえずやってみよう”が今年の方針なので、
勢いではじめてみました……twitter。
普段は用がなければ黙ってるタイプなんですが、お酒に酔ったり気分がよかったりすると、ものすごく饒舌になるので、根はおしゃべりなタイプなのかもしれないなぁ。今頃、ふとそんなことを思った。
どうでもいいことを適当につぶやく為だけに使ってみようかと思ってますので、やってる方、よかったら誰かフォローしてください^^;
05/21
一人ひとりの好みが違う以上、万人に好かれるような作品を目指すより、自分が目指す方向を追求していこう。せっかくのフリーゲームという「自由な」発表の場なんだから。
創作を始めた頃からこの考えは僕の中にあって、今でも創作そのものを支えてくれている考えの一つです。
時間があると僕もフリーゲームをあれこれ遊ぶのですが(ノベル・ADVだけでなく、RPGやSLGなんかも遊んだりします)、面白い/つまらないとは別次元で、変に好かれようとしてない作品ほど、そこに魅力を感じたりもします。
毒や笑い、鬱屈した発想。はっきり言って作者の自己満足的な想いの発露でも、いいじゃんもっとやれ!と無責任にエールを送りたい気持ちになるんですよね。
読み手に受け入れられるかどうか。
そこを出発点にすると、結局は月並みで終わってしまう気がします。新しい作風とかオリジナリティとか個性とか呼ばれるものは、きっと自己満足の追求が幸運にも好意的に受け入れられた結果、誕生するものんじゃないだろうか、なんて。
もしかしたら「ノベルゲーム」という名前がよくないのかな、なんて最近思っています。従来、一般的に勝ち負けのつくものを「ゲーム」と呼んできたわけですから、その流れで「ノベルゲーム」を考えると、どうしても「ゲーム性」や「娯楽(エンターテイメント)」としての側面ばかりに注目されてしまうように思うんですよ。
でも、それは呼び名の問題であって本質じゃない。
もちろん、遊んでもらうためのシステム的な部分では、遊び手側に立った考え方が必要だと思いますけど。内容に関してまで商業作品のいわゆる「ゲーム」と比較した、いわば娯楽としての評価ばかりでは、それこそ「つまらない」ような。
例えば、選択肢。物語として、そこに選択の余地をつくりたいという作者の意図も、娯楽としてみると無駄な選択肢と評価されてしまうこともあるかもしれません。あるいはグッドエンド・バッドエンド。これだってグッドエンド(勝ち)・バッドエンド(負け)という、いかに選択肢を間違えないで物語を進めていけるか、という発想から、選択肢を間違えた→ロードしてやり直し、というなんだか違うゲーム……言うなれば「正解選びゲーム」みたいな感じにもなってくるわけですよ。
本来なら遊び手の選択(「ヒロインが喜びそうな行動」「最適な行動」など)が……気付くと「作者の思惑」に沿って最適な選択になってしまっていたり、とか。じゃ、物語やそこにいる主人公たちの存在って何?ってことにもなってしまいます。
そこで。
「正解選び」ではなく、でも読むだけではない「ゲームとしての遊ぶ楽しさ」や「選択肢を選ぶドキドキ」もある「ノベルゲーム」は作れないものかと……なにやら壮大なことを、考えてみたりしています。
まぁ今すぐには無理ですが。
いずれそんな作品を作れたらいいなぁと、ずいぶん前からずーっと構想中なんですが……。
気の長い話。
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